≪原発事故は国家安全保障事態≫
福島第1原発の事故は現在も進行中であり、詳細が明らかになるのはかなり先になるだろう。しかし、まず間違いないのは、事故の発生から事態の急速な悪化に歯止めがかかる約10日間は、戦後日本が直面した最も急迫した危機であり、真の国家安全保障事態であったことである。原発担当の細野首相補佐官の「原発はほとんど制御不能のところまでいった」という発言もその深刻さを示唆する。
危機はなぜ起こったのか。結果的には、事故発生直後の対応に失敗があったのは明らかである。発生から恐らく12時間以内にベントや海水の注入をしていれば、事態の急速な悪化は回避された可能性はある。だが、当時の状況では、その実行はかなり難しかった。
原子力災害対策特別措置法などで形式的には政府に権限があったとはいえ、東京電力や原子力安全委員会、原子力安全・保安院など担当部局は過酷事故への備えを実質的に欠いていた。地震、津波への対応に追われる中で政治家が的確に指示し、実行を担保するのはかなり困難であったのではないか。菅直人首相の現地視察の適否に議論はあるが、誰が首相であっても迅速かつ適切に対処できた可能性は低い。過酷事故の想定と準備を欠いた設計、審査、防災体制により大きな問題があったと思う。
しかしその後の菅政権の対応は批判されて然るべきである。初期の収束に失敗した段階で政府は事態を国家安全保障上の危機と位置づけ、東電や原子力担当部局だけでなく、自衛隊や警察などすべての政府組織を動員可能な体制とし、地方自治体や民間にも協力を要請した上で一元的な体制の下に置くべきであった。
≪緊急立法措置なく体制曖昧≫
法制上の裏付けが必要なら、野党や両院議長と協議して緊急立法することも可能であった。体制の不備は今も続く。東電が示した「工程表」の実現に政府が責任を負うのか負わないのか明らかでない。住民に計画的避難を呼びかけながら、政府が責任を持って避難先を確保しないことも理解し難い。学校での規制値についても決定の経緯、責任は曖昧である。事態の重大性に比して体制の不備が続くことは国際的不信感の原因ともなっていよう。
それにしても福島原発事故は世界的にも先例のない大規模なものとなった。国際評価基準でのレベル7評価やチェルノブイリとの比較はあまり意味がない。過酷事故の実例は25年前のチェルノブイリと30年余り前のスリーマイル島事故しかなく、基準そのものが今後見直される可能性は十分にある。
今回は天災に伴い数基の原子炉の電源が同時に失われ、厳重な防護のない使用済み核燃料も損傷する大規模事故となった。チェルノブイリが急激かつ短期間に起きた大事故だとすれば、福島事故はチェルノブイリのようになる可能性は低かったものの、基地内にははるかに大量の放射性物質が存在しており、最悪の場合には高度の放射線のためにそれらを放置せざるを得なくなる可能性があった。
福島原発事故の一般社会への被害は、比較的低線量の放射性物質が長期間放出されることである。健康への影響については専門家も確言できないようだが、若年層、特に乳幼児や妊婦が影響を受けやすく、しかもその結果は何十年先にならないと確認できないところに放射能汚染の難しさがある。
チェルノブイリ事故もわずか25年前なので、その当時の子供への影響が今後、顕在化する可能性も否定できないだろう。土壌や水の汚染も同様で、長期の放射能汚染の影響を明言できないことからくる社会的ストレスそのものが、原発事故の被害ととらえるべきであろう。
≪同時多発攻撃にも備えよ≫
今後、原発をどうすべきかはエネルギー政策だけでなく、安全保障上の観点からも議論されねばならない。原子炉のみならず付属施設、なかんずく使用済み核燃料の防護が問題となる。津波だけでなく、巨大災害と余震が繰り返し起こる場合の電源、配管などの健全性が問題となる。軍事的攻撃への対応もより重要となった。従来も原発へのゲリラ・コマンドのテロは課題とされてきたが、今回の事態で、ゲリラやミサイルによる複数の原発や電源への同時多発的な攻撃への対処がより重要となる。
福島原発事故の場合、偏西風によって大気中の放射能のかなりの部分が太平洋に流されたのは幸運だった。日本海側、西日本にある原発だけでなく、核計画を進める北朝鮮、大規模な原発増設計画をもつ韓国、中国で事故となれば、人口集中地が風下に位置している日本は、影響を受けてしまう。
今回の事故、特に放射能汚染水の拙速な投棄によって、日本は近隣諸国に原発安全問題での発言力を弱めてしまった。今後、日本自身が厳格な安全基準を設定し、国際的に信認の得られる安全性を確保した上で、他国の原発の安全性についても国際課題として発言することを目指すべきであろう。(なかにし ひろし)
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